サグラダファミリアが、2026年完成予定らしい。ようやくかよと思うと同時に、逆に今まで何してたんだろうとも思う。僕が夏休みの宿題をやろうやろうと思いつつも、明日頑張ろうと先延ばしにして結局最終日にまとめてやるハメになるのとは流石に違うと思いたい。
もし2026年に完成しなかったら、「やったけど忘れました」じゃ誤魔化せないのが辛いところだね。軽く調べたら戦争うんぬんで設計図が燃えちゃったらしい。人類は愚か。特にお前。
中学時代美術の教科書で見たあれがついに完成するんだなと感慨深い思いがある一方、ちょっと疑問に感じることもある。
仮に、サグラダファミリアが完成したとして、観光地としての魅力は増すのだろうか、それとも減るんだろうか。ということである。今でさえ賑わってるんだから、当然完成すれば観光名所になるに決まってるだろバカかと思われるかも知れないが、一概にそうとも言えない気がする。
もしあなたがサグラダファミリアを知らない人に特徴を説明するとしたら、多少の違いはあれどきっとこんな風に言うはずだ。
「アントニ・ガウディの設計した教会で、着工から100年以上経った今も建築途中の建物です」と。
何が言いたいかというと、建築途中であることそれ自体が、もはやサグラダファミリアの特徴、アイデンティティの1つになってしまっているということだ。
例えば、名古屋城に金のシャチホコがなかったとして、果たして今ほど有名になれていただろうか。日光東照宮に三猿が居なかったとして、果たして今ほど人気を集められていただろうか。
自分が、みんなが思っている以上に、普通の人は"歴史的価値"とやらに興味がない。修学旅行でWikipediaのコピペ知識をひけらかす引率の先生だってきっと内心早く帰りたいと思ってたはずだし、周囲を顧みずバシャバシャ写真を撮りまくるカップルも、観光なんて建前で、「金閣寺よりお前の方が輝いてるぜ......⭐️」みたいに口説く口実にしたいだけだと思う。
清水寺の特徴は言えますか?奈良の大仏は?五重塔はなにが凄い?
だからたぶん、みんな歴史的価値に魅力を見出しているんじゃなくて、知識がなくても分かりやすい、綺麗な見た目やキャッチーなシンボルにこそ観光地としての魅力を見出してるんだと思う。
サグラダファミリアの例に戻る。
Wikipediaを一部引用すると、『サグラダ・ファミリアは、スペインのバルセロナにあるカトリック教会のバシリカである。聖家族贖罪教会という正式名称を持つ。日本語では聖家族教会と呼ばれることも多い。』らしい。
じゃあ、カトリックの教会ですよって説明されるのと、100年以上建築が続いてるけどまだ完成してませんよって説明されるのだったら、どっちがインパクトある?大体の人が後者に食いつくと思う。だって無宗教や他宗派の人間にカトリック教会の価値なんて分からんし、どんな意味があるのかも分からん。
でも後者は分かりやすい。なんなら「どんだけやってんだよ」ってツッコミさえ飛び出す。こんな風に、前提となる知識がなくても分かりやすいシンボルがあることが、世界各地の多種多様な民族の観光客を引き寄せる条件になっている様に思う。逆に、「建築から140年経ってようやく完成したんだよ」と説明しても、きっと「へぇー」で終わってしまうだろう。
だって完成してるのは当たり前なんだもん。他の歴史的建造物も全部完成してるんだから、完成しちゃった時点で建設にかかった年数は特徴足りえない。まぁ特徴じゃないとは言わないが、それでもインパクトは大分薄まる。
観光地としての魅力が下がるんじゃないかと思う理由はもう一つあって、それは「未完成ゆえの魅力の消失」だ。そう思ったのは、ミロのヴィーナスの例があったからである。ミロのヴィーナスの話は聞いたことある人が多いはず。国語の教科書にも載ってたし、美術の教科書にも載ってたし。
ミロのヴィーナスには両腕が無い。
世界で最も有名な彫像であるミロのヴィーナスだが、そうしたある種の欠陥を抱えているのにも関わらず美しさの象徴のように語られるのは、「両腕が無いことによって想像力が掻き立てられるから」と偉い人たちは分析している。
確かに、旅行の計画を立てているときはクッソ楽しいのに、いざ行ってみるとクッソダルいことは良くある。目をつぶって、頭の中であれこれ考えを巡らせている段階が何事においても1番楽しく、実際現実に帰ると理想とはかけ離れていて、そのギャップに倍失望する。上げて落とされるみたいな感じだね。
サグラダファミリアもすごく綺麗だ。写真でしか見たことないし、小学生並みの感想しか出てこないけど、絵本で見たお城みたいで厨二心をくすぐられる。
でもどうだろう、それほど遠くない未来、異世界に飛び込むような期待感を胸にスペインへおもむき、完成したサグラダファミリアと立ち向かったとき、僕は、「なんだ、こんなもんか」と思わずにいられるだろうか。僕はそれがとてつもなく怖いことのように感じる。
きっと世界が崩れるときみたいなけたたましい音が聞こえる。ドカーンとかガシャーンとかバキバキって感じの小気味いい破砕音じゃなくて、もっと気色悪い、グチャグチャって感じの不快な音。未完成だからこそ想像上の魅力に溢れていて、完成してしまえば劣化することはあれど進化することはなくなってしまう。それが拍子抜け感というか、失望に変わり、期待が大きかった分それはより深まる。
だから建設業者の皆さん、頑張るの、明日からにしませんか?まだまだ時間あるんだし、少しくらい遅れても大丈夫だって。地球が終わるその日までに終わってりゃオールオッケー、そのくらいの気楽さでよくないですか?夏休みの宿題だって提出しちゃえば、できてようができてないまいが一緒だし。
そんで、完成した瞬間にバカ笑いしながら蹴り壊したい。やったけど壊しちゃいましたって言ってみたい。